もくじ
聖徳太子の治世から大化の改新 壬申の乱から大宝律令制定 奈良時代 前半の動画 後半の動画 平安時代 前半 動画・平安時代 前半(音声良好) 平安時代 後半 武士の台頭 保元/平治の乱 源平合戦 鎌倉幕府の成立 元寇と鎌倉幕府の衰え 動画・前半(音声良好) 動画・後半(音声良好) 鎌倉時代の文化 動画・鎌倉の文化(音声良好) 室町時代 動画・室町時代前半 動画・室町時代後半 室町時代の文化 農村・都市の発展 動画・室町時代の文化(音声良好) 動画・農村の発展と自治 戦国時代 動画・戦国時代 その1 その2 その3 (音声良好) 江戸幕府の成立 ○動画1/3・関ヶ原の戦い。家康、江戸幕府を開く。 参勤交代 ○ 動画2/3・禁教令 鎖国の完成 ○動画1/3・朝鮮通信使 沖縄・北海道に進出する 年表確認 *1/3〜3/3まで音質は良好 江戸時代の人々の暮らし 動画・江戸時代の人々の暮らし 音声良好 江戸幕府のおとろえと三大改革 江戸時代の文化 元禄・化政文化 江戸幕府の終焉と明治維新 動画・前編 動画・後編 動画・年表確認 音声良好 明治維新・・・日本の大改革 明治新政府による近隣外交と国境の策定 内と外に伸びる日本1 日清戦争での勝利 内と外に伸びる日本2 日露戦争での勝利 自由民権運動の広がり 条約改正への道 韓国併合 日本における産業革命 第一次世界大戦と日本 第一次世界大戦から満州事変、国際連盟脱退まで 戦前の日本の民主主義の展開 二・二六事件から第2次世界大戦終了まで このブログの意義と目的 執筆雑感 江戸幕府の衰えと三大改革 を執筆して思ったこと(平成23年4月27日 記) 聖徳太子はいなかった、とは? (平成23年4月21日) #
by history-japan
| 2012-12-31 08:15
| もくじ
こんにちは
皆さんもうご存知と思いますが、満州事変が起きた時点で、満州は中国領ではありません。あそこは満州族のエリア。中国はなんでも中国領にするから注意です。 というか、当時は現在程、国境と言う概念がはっきりしてなかったのです。 樺太なんて、日露雑居という概念だった。 中国なんて、周辺国と貿易をしてして、貿易していたところを服属国としていたが、周辺国にしてみれば、中国と貿易をしたいから、方便でそのように言っていただけです。別に中国領だったわけではない。 貿易をしていた国が領土と言うのなら、今、世界中が日本領とも言えてしまう。もちろん、どこの国でも言えるのであるが。 話を満州に戻します。 ほんとは何にもなかった所です。そこにロシアがシベリア鉄道を引き、物流が行われるようになり人が集まってきた。そこに流れて来たのが、張作霖。 中国の領土でない、「満州」という言葉を使うのが中国人は嫌なのです。中国領ではなかったことがバレるかからね。 だから 満州事変のことを、柳条湖事件 と訳の分からない名称で言っています。なんのことが私は最初わからんかったです。 また、満州 というと、中国人はあまり気分が良く無いみたいである。 中国東北部 というのが正しいそうである。 極力、満州 ということばを避けたい。 日本のコントロールを受けた、満州国 が、あったから嫌だと言うのもあるが、満州、と言うと、昔は中国領でなかったことがバレるから嫌なのである。 #
by history-japan
| 2012-09-19 12:23
| 執筆雑感
聖徳太子はいなかった? 馬鹿じゃないか、と思います。
その根拠は、日本書紀にしか載っていない、というのです。歴史学者ってひょっとしたら馬鹿ぞろいなんでしょうか。 聖徳太子が推古天皇の摂政になったのは、593年。 平城京遷都は710年。日本書紀は奈良時代に書かれています。 きっと、聖徳太子の時代から100年前後くらい経った頃に書かれている。聖徳太子を見た事がある、という100歳くらいの年寄りすらまだ生きていたようにも思います。 また、大和朝廷が書きましたが、このようなもの、朝廷に都合の悪いことは書かないのが、何処の国でもいつの時代でも常ですが、聖徳太子は大和朝廷の立役者であり、エースです。特筆大書されている。それでいて「いない」ということはあり得ない。 ただ、考えられるのは、聖徳太子は朝鮮、中国にとっては面白くない人でありました。 中国には、「日の出るように勢いのある日本の天子が、日が没するような貴国の天子に申し上げる」と対等の表現をしました。隋の煬帝は激怒したと言いますが、高句麗との戦争を控えていたので、我慢しました。そのことを小野妹子からも煬帝が指摘されています。 朝鮮は当時3つの国に分かれ、日本に文化的影響を与えていましたが、大和朝廷の中に、百済派、新羅派、高句麗派 みたいなものができて、ゴタゴタの種にもなっていた。 朝鮮の文化のネタは隋にあるのであれば、朝鮮を頭越しに隋と直接結ぼうと考えたのが、聖徳太子でした。実際、小野妹子が隋からの帰国中に、百済で暴漢に教われ、隋の煬帝からの国書を盗まれております。 まあ、中国、朝鮮にとって面白くない人。たぶん、聖徳太子はいない、と言う学者は、彼らに一杯盛られているのでは、と思っています。まあ、くだらないことばかり言っていると、信用を失います。歴史学者よ、しっかりしろ、と言いたいです。 長くなりました。自分は自分の歴史を力強く書き、それを教えます。 歴史を教えるとき、やはり、豊富な図や写真が必要です。それを紙芝居的に出す。それができるように、KeyNoteを使って作りました。 このようなモノを広く配布したい。そして、おのおのが、そのKeyNote紙芝居を使って、自分の子や孫に、そして、塾で、学校で、歴史を教えたら良いのでは、と思います。KeyNote(PowerPoint 版も作製する予定)で出来ていますから、スライドの差し替え、作り替えは、おのおのが存分に。それにしてもこのようなものがあると、すぐにできる。一から作るのは、時間がかかるし、骨も折れます。 そのような思いで作りました。今後もよろしくお願い致します。 #
by history-japan
| 2011-04-27 18:59
| 執筆雑感
こんにちは 今日はくもり 風はなし。暖かい春のような日。というか、春なのだ。
いやはや、ついにやってのけました。 とうとう昨日、江戸幕府の衰えと三大改革をまとめ終わり、日本史の背骨にアップ出来ました。 江戸時代の三大改革とは、ご存知の通り(忘れたお方もいっらやるとは思いますが)、徳川吉宗の享保の改革、松平定信の寛政の改革、水野忠邦の天保の改革であります。 あくまでも、高校入試、中学入試を目指すためのものですから、この3つを覚えておけば良い、と思っていて、まとめるのは簡単なこと、と思い、とりかかりましたが、これが意外と難しい。というか、意外と重たい。手間がかかる。 まあ、この3つを覚えれば良いのですから、試験のためには強制暗記でなんとかなる。ただ、これは『日本史の背骨』である。 歴史の流れを、スッと語ることが出来なければならない。それでないと、卑しくもこの「日本史の背骨」を使って講談する我々も面白く無いし、聞いている子供らも面白く無いだろう。それじゃあ、塾といっしょだ。いや、塾だってもっと面白く出来なければ、生徒をがっかりさせる。子供らをがっかりさせる。 いや、それよりも、その改革の間に、田沼時代と大御所時代というのがある。これも教科書には書いてある。 田沼時代は賄賂漬けでぼろぼろの時代。田沼意次はとんでもない奴、というのが私の何となくの感覚だ。 大御所時代(徳川家斉のころ)であるが、この家斎(いえなり)と言う人も、何やらぱっとした人ではない印象。子供は50人くらいいるという、ちょっとふやけた人、という印象。 だけど、あらためて調べてみると、この間の時代が分からないと、3大改革の流れも見えてこない。 ちなみに基本的なことであるが、それぞれの改革、それぞれの時代が何年続いたのか調べてみた。 享保の改革(吉宗) 30年 田沼時代 20年 寛政の改革(松平定信)6年 大御所時代(徳川家斉)50年 天保の改革(水野忠邦)2年 であった。 三大改革を行なった人は能力はすごいある人だと思うが、上手くいったのは、吉宗の享保の改革 位ではないのか。 あとは、ただ「倹約」を叫ぶだけで、「倹約」を重視するあまり、いろいろな決まりや規制を設けて、人々を縛り付けようとした。それで怨嗟を買って、すぐ老中の定信も、水野も解任されている。 田沼時代は賄賂ばかりのひどい時代と聞いているが、20年も続いた。「倹約」ではなく、このころ台頭目覚ましい、商工業者を重視した政策。なかなか斬新であったろう。 大御所時代。家斎は、何もしない無能な人、という印象だ。教科書の記述も確かにそうだ。しかし、それでなんで50年も続いたのか。特に大弾圧をやったような気配もない。それどころか、この50年で、化政文化の花が開いた時代だ。ある意味、江戸時代でもっとも華やかな時代である。 次の水野忠邦の天保の改革。けっこうキツかった。株仲間を廃止したり、江戸の寄席を200箇所以上あったものを15箇所にしたり。江戸に出て来ていた百姓を人返しの法で、村に強制的に返したり・・・村で食えないから、江戸に来ているのに、返されても何だって言うんだ、というぼやきが聞こえてきそうだ。 これは2年で終わっている。 つまりだ。江戸幕府が改革をしなければならなかった理由は財政難であるが、財政難に陥った理由がある。これが分からずに、いくら改革をやってもダメだった、ということか。かえって何もしない人の方が支持された、というわけではないか。 江戸幕府は、年貢を米で農民から集めていましたから、米に関しては日本の経済の中心であったが、江戸も中期以降は、商品作物が多数出て来て、問屋制手工業の発達。また、それに伴い、商業が驚くべき発達を見せた。米相場のような、今で言う、先物取り引き、のようなものも行なわれていた。これは世界一早かった。 米に関して言えば、すでに江戸のころには、重要な物品であるが、あくまでも商品のひとつ、となっていた。 そのような複雑な世界を幕府の人間が理解出来る分けなかった。その人間が改革、倹約、と唱えても、何もならなかった、と言う訳か。 何か、現代でも参考になる所があるようにも思えるし、本当に難しいテーマであろう。重たかった。2週間くらいかかった。 #
by history-japan
| 2011-04-27 15:12
| 執筆雑感
このブログ「歴史の背骨」について、著者と友人のP氏、Q氏と対談したので記します。このブログの意義が皆さんに少しでも分かってもらえると思うのです。
皆、昭和世代です。 著者 歴 史・・・・ おはようございます。今日は晴れ。よい天気です。今日はわざわざお集まりいただきありがとうございました。 東北大震災、そしてその地震の被害、原発の動向 本当に心配です。 だけど、心配ばかりしていてもしょうがない。私は私のプロジェクトを実践します。 歴史のまとめ 日本史の背骨 これをまとめること。これは自分にとって神聖な仕事とひとりで理解しています。 今の教科書の自虐史観はすさまじいものがあります。歴史の教科書は死んでいます。 やはり、自虐史観、亡国史観は、百害あって一理無し。親が子にプライドを持って歴史を教えなければならない。今の教科書では何も教えられない。 そこで、親が子に教えられる様に、このようなパソコンで上映できるスライドを作っています。実際、このようなもので、私は自分の子供らには歴史を教えてきました。このようなものも、ホイ、と簡単にできたものではありません。かなり時間をかけて書き貯めたものです。実は5年くらいかかっています。 友人 P氏・・・・ 歴君。君が歴史のまとめを書き進められて居られる主要動機は何となくわかりました。 しかし、君の書かれたものの何処が、自虐史観と異なるのでしょうか。 具体的に、日本の現今の教科書のどこがまずいのでしょうか。 手元に「もういちど読む 山川 日本史」(山川出版社)があります。 私には特別、君の書かれた「日本史の背骨」と距離があるとは思えません。 簡単に言ってしまえば、日本における歴史教育は大学受験や公務員試験の素材にすぎず、その内容は、しばしば「歴史」というより「年代記」に属する一行知識の羅列です。 その意味では、君が仰る歴史の勉強=究極的には年表の暗記 説は正しいと思います。 むろん、「本当は」こんな事(=一行知識)は誰が考えても歴史の本質とは無関係です。 時間軸に沿った、いわゆる通時的関連性の理解こそが歴史の本質だと私は考えます。 問題は、これが歴史のみならず、数学や他の分野でも同じ傾向が見られるという現実です。 この様な低級なもので人間を選抜する訳ですから、有名大学ほど馬鹿ばかりということになっても不思議ではありません。その結果が、現在日本で最大の問題と直結すると考えます。 驚くべきことに、明治維新以降、日本の選抜システムそのものは殆ど変わってません。 現在の日本の停滞・低迷の真の原因はここにあると私は考えます。 著者 歴 史・・・・ 「もういちど読む 山川 日本史」(山川出版社)は私も買いました。比較的まとも、というか、やはり、我々に読ませる様に、もっと言えば、我々に買わせる様にしてある様に思います。 この教科書は自虐史観的なものは薄いような気が致します。なんとなく、扶桑社の「新しい歴史教科書」を参考にしているようにも思いました。 自虐史観バリバリの教科書というものは、市販には耐えません。そんなものだれも買いません。 東京書籍、大阪出版の中学の歴史の教科書を手に入れてみる事を是非お勧めします。市販はしていませんが、本屋に注文すると取り寄せてもらえて買えると思います。 おそらく、目眩(めまい)を覚えると思います。 というか、一見して、絵本です。自虐史観とそれを薄める作用が働いて、内容が0のものとなっております。 塾に行かずに、この絵本のような教科書と学校の授業だけで、歴史の点数の取れる生徒がいたら天才です。なにしろ、無から有を産むのですから。 それゆえ、私はこの「日本史の背骨」を作っております。あまり違和感jは感じられなかったように思います。 平成に高校を卒業した人間あたりから自虐史観の教科書をつかい、なんとなく歴史が面白くない、というか、歴史を知らない人間が大幅に増えているような気が致します。 私のこの「日本史の背骨」を見て、違和感が無い、こんなもんだろう、と思う方は正常です。 ところが平成に高校卒の連中あたりから、理解が怪しくなっている人が増えています。 コレこそが、日本の病巣です。それを除去するために、「背骨」を書いております。救国活動と思っています。燃えています。 これを、MacのコンピューターのKeyNoteで書いておりますので、このままダウンロードできるようにしたいと思っています。 ただ、いまは、ひたすらこのような形でアップしています。いろいろ展開して行きます。 アドバイスありがとうございました。 友人Q氏・・・・・・ 12才の歴史好きの長男にみせました。 かなりわかりやすいと好評でしたよ。 読めない漢字があったので、紛らわしい字には送り仮名をふっていただくとありがたいようです。 音声がでるともっとありがたいとのこと。ご検討お願いします。 著者 歴 史・・・・ うれしいご発言です。 確かに漢字で難しいものはありますね。ふりがなも必要かな、と思っていました。 音声も同時にこしらえております。しばらくしたら、YouTube で出そうと思います。 これをみて、小学生の息子さんが分かりやすい、と言ったのであれば、かなり力のある子ですね。 ゆくゆくは、KeyNoteのファイルをお渡しして、おのおのの親御さんが、それを若干自分用に手直しして(もちろん、忘れている方は「復習」が必要であるが)、子供に教えてあげるためのものです。歴史は親がプライドを持って子に教えてあげるものだということを書いてあるものを読んだ事があります。 このようなものがあると、かなり教えやすいと思います。 そのような青写真を持って作っておりますので、よろしくお願い致します。 #
by history-japan
| 2011-03-26 19:28
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