満州事変当時、満州は中国の領土ではなかった

こんにちは

 皆さんもうご存知と思いますが、満州事変が起きた時点で、満州は中国領ではありません。あそこは満州族のエリア。中国はなんでも中国領にするから注意です。

 というか、当時は現在程、国境と言う概念がはっきりしてなかったのです。

 樺太なんて、日露雑居という概念だった。

 中国なんて、周辺国と貿易をしてして、貿易していたところを服属国としていたが、周辺国にしてみれば、中国と貿易をしたいから、方便でそのように言っていただけです。別に中国領だったわけではない。

 貿易をしていた国が領土と言うのなら、今、世界中が日本領とも言えてしまう。もちろん、どこの国でも言えるのであるが。

 話を満州に戻します。

 ほんとは何にもなかった所です。そこにロシアがシベリア鉄道を引き、物流が行われるようになり人が集まってきた。そこに流れて来たのが、張作霖。

 中国の領土でない、「満州」という言葉を使うのが中国人は嫌なのです。中国領ではなかったことがバレるかからね。

 だから 満州事変のことを、柳条湖事件 と訳の分からない名称で言っています。なんのことが私は最初わからんかったです。

 また、満州 というと、中国人はあまり気分が良く無いみたいである。

 中国東北部 というのが正しいそうである。

 極力、満州 ということばを避けたい。

 日本のコントロールを受けた、満州国 が、あったから嫌だと言うのもあるが、満州、と言うと、昔は中国領でなかったことがバレるから嫌なのである。
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by history-japan | 2012-09-19 12:23 | 執筆雑感


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