聖徳太子がいなかったとは?

聖徳太子はいなかった?  馬鹿じゃないか、と思います。

 その根拠は、日本書紀にしか載っていない、というのです。歴史学者ってひょっとしたら馬鹿ぞろいなんでしょうか。

 聖徳太子が推古天皇の摂政になったのは、593年。

 平城京遷都は710年。日本書紀は奈良時代に書かれています。

 きっと、聖徳太子の時代から100年前後くらい経った頃に書かれている。聖徳太子を見た事がある、という100歳くらいの年寄りすらまだ生きていたようにも思います。

 また、大和朝廷が書きましたが、このようなもの、朝廷に都合の悪いことは書かないのが、何処の国でもいつの時代でも常ですが、聖徳太子は大和朝廷の立役者であり、エースです。特筆大書されている。それでいて「いない」ということはあり得ない。

 ただ、考えられるのは、聖徳太子は朝鮮、中国にとっては面白くない人でありました。

 中国には、「日の出るように勢いのある日本の天子が、日が没するような貴国の天子に申し上げる」と対等の表現をしました。隋の煬帝は激怒したと言いますが、高句麗との戦争を控えていたので、我慢しました。そのことを小野妹子からも煬帝が指摘されています。

 朝鮮は当時3つの国に分かれ、日本に文化的影響を与えていましたが、大和朝廷の中に、百済派、新羅派、高句麗派 みたいなものができて、ゴタゴタの種にもなっていた。
 朝鮮の文化のネタは隋にあるのであれば、朝鮮を頭越しに隋と直接結ぼうと考えたのが、聖徳太子でした。実際、小野妹子が隋からの帰国中に、百済で暴漢に教われ、隋の煬帝からの国書を盗まれております。

 まあ、中国、朝鮮にとって面白くない人。たぶん、聖徳太子はいない、と言う学者は、彼らに一杯盛られているのでは、と思っています。まあ、くだらないことばかり言っていると、信用を失います。歴史学者よ、しっかりしろ、と言いたいです。

 長くなりました。自分は自分の歴史を力強く書き、それを教えます。

 歴史を教えるとき、やはり、豊富な図や写真が必要です。それを紙芝居的に出す。それができるように、KeyNoteを使って作りました。

 このようなモノを広く配布したい。そして、おのおのが、そのKeyNote紙芝居を使って、自分の子や孫に、そして、塾で、学校で、歴史を教えたら良いのでは、と思います。KeyNote(PowerPoint 版も作製する予定)で出来ていますから、スライドの差し替え、作り替えは、おのおのが存分に。それにしてもこのようなものがあると、すぐにできる。一から作るのは、時間がかかるし、骨も折れます。

 そのような思いで作りました。今後もよろしくお願い致します。
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by history-japan | 2011-04-27 18:59 | 執筆雑感


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